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日本周遊紀行



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紀行(71)十勝 「巨魚・イトウ」

北海道の川の生態系で、頂点に君臨する王者・イトウ・・、

十勝川を過ぎると、サッパリした森林帯の中を、ややアップダウンを繰り返しながら進む。
ここから眺める事は出来ないが海岸線に沿って長節湖、湧洞沼、生花苗沼、ホロカヤントウ沼が点々と並び、湖沼周辺は大小の湿原が取り巻いている。 
いかにも北海道らしい原風景であることに変わりなく、優美な風景を演出していることだろう。 

中でも最大の湖沼は湧洞沼であり、この沼には「イトウ」にまつわる伝説があるという。

『 沼とつながる湧洞川上流にアイヌ民族の村があった頃の話で・・、その年は大渇水に悩まされ人々は沼まで水をくみに行かねばならなかった。 近づくと、渇水期で水が少ないはずなのに、沼は満水状態で溢れ出るようであった。 見ると沼と川との水口に大きなイトウが横たわり、水の流れを塞いでいたのである、そして周りには無数の小魚が群がっていたという・・、「かねがね湧洞沼の主はイトウと聞いていたが、この干ばつで子孫の絶えるのを恐れて、自ら死をもって子孫のために堤となって犠牲になったのだろう」 』という話である。

現在、「イトウ」の生息地は、道内でも限られた河川流域でしか確認できないといい、激減、絶滅の危惧種の一種だという。 
イトウは体長が2mを越す国内最大級の淡水魚、サケ科の大型魚で「幻の魚」と言われている。
かっては青森や岩手などにも生息していたが、今は北海道、サハリンなどロシア極東の一部にしか存在しないという。 

成魚の体長は150cmを超え、一生の間に川の上流から下流を行き来し、稀に海にも出ることもある。 20年以上も生きた例も報告され、強い歯を持つ肉食魚で、マニアックな釣り人にも人気だが、近年は滅多に釣れないため「幻の魚」と言われる所以である。

「イトウ」といえば、克ってテレビのドキュメンタリー番組で「開高 健の海外釣紀行・・」(仮題)で、アラスカかどっかで巨大なイトウを釣り上げたのを記憶している。 
開高 健(かいこう たけし)といえば、ベトナムで従軍記者として九死に一生を得た事でも有名であるが、むろん自然派の作家である。 

後半生は熱心な釣師としても知られ、日本はもちろん世界中に釣行し、様々な魚を釣り上げ、「オーパ!」、「フィッシュ・オン」など釣りをテーマにした作品も多い。 
現在では浸透している「キャッチアンドリリース」(釣った魚を河に戻す)という思想を広めたのも彼だと言われている。

その釣り紀行のエッセイ・ノンフィクションの内容は卓越したもので、その中で北海道の根釧原野で幻の魚イトウを初めて釣ったときのことを彼は記している。 
『 カッと巨口をひらいたまま息をひきとりつつ、肌の色がみるみる変わっていく二尺五寸(75センチ)のイトウに、いいようのない恍惚と哀惜、そしてくっきりそれとわかる畏敬の念をおぼえる。これこそがこの大湿原の核心であり、本質である。蒼古の戦士は眼をまじまじ瞠ったまま静かに死んでいき、顔貌を変えた。 』・・、と

又、釣り専門誌「オーパ!」の中での釣りを描写する語彙は、たちまち釣り師・釣り好きな少年たちの間に広まって、釣り雑誌には開高健の言葉が氾濫するようになったという。 
『 ふいに強い手でグイと竿さきがひきこまれたかと思うと、次の瞬間、水が炸裂した。一匹の果敢な魚が跳ねた。右に跳ねては潜り、消えては走り、落下しては跳躍した・・! 』、 

かくして釣り雑誌では、いまだに「水が炸裂し」、魚が「走り」、「跳びまくっている」、などと独特の表現で書いているという。

北海道の川の生態系の頂点に君臨する王者イトウは、陸の「ヒグマ」、空の「シマフクロウ」とならぶ自然保護の象徴的生物でもある。
時に、研究者によるイトウの生息調査が行なわれているが、実際のところ産卵可能な親魚が道内に何匹生息しているかはよく分かっていないという。 
そして川魚を好む釣り人には「いつかは釣ってみたい魚」として人気が高く、一年中イトウだけを追いかけるというイトウ専門釣り師も存在する。

釣魚としての「イトウ」の魅力は、第一にその並外れた大きさであろう。 
現在でも北海道には150cm以上のの巨大魚がいると真密かにいわれているという。第二の魅力は「幻の魚」と呼ばれる希少価値であろう。 
そう簡単に釣れないから釣り人は知識と経験と情報を総動員して、途方もないエネルギーと時間を費やしてこの名魚を追うのである。

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紀行(72)十勝地方 「大樹町」



大樹は晩成・・・?、


ホロカヤントウ沼のすぐ近くに「晩成温泉」がある、十勝地方には珍しい海岸沿いにある温泉であろう。 
窓からは大平洋の大パノラマが広がっており、最近になって温泉に殺菌作用、高血圧に効果がある大量のヨードが含まれていることが判り、注目が高まっているといわれる。

温泉の名称もさることながら、この辺りの地域を「晩成」と称している。
大樹町の晩成で、これを模じって「大樹晩成」(大器晩成)にしたのではないが、十勝・大樹地方は静岡県伊豆出身の依田勉三率いる「晩成社」(一種の会社組織)一行が明治16年に入植したのが開拓の始まりといわれ、そのためこの辺りの地名を「晩成」としたという。

一般に、北海道の開拓といえば官主導の屯田兵や旧幕府家臣によるものが主であるが、十勝、帯広一帯は一般民間人に拠るものが多く、晩成社はその一環でもある。 
大樹町の「晩成温泉」はそれらに因んだ名前であり、現代に生きる人が祖先の人々に敬意を表して命名したのであろう・・、結構ことである。

十勝開拓のパイオニアとして知られる「依田勉三氏」にまつわる「晩成社史跡」が大樹町の晩成の生花苗地区にある。 
サイロ跡や石碑などと共に復原された「依田勉三住居」は1893年(明治26年)に建てられたもので、切り妻様式の簡素な住居は1915年(大正4年)まで勉三が住んでいたという。 
茫漠とした辺りの風景とともに往時の労苦を忍ばせる。

入植の3年後には大樹町に晩成社牧場を開いて酪農に取り組みながらバターなどの製造を開始、多くの苦難を乗り越えながら同牧場付近でさまざまな事業にも着手している。 
勉三氏は大正14年、帯広の自宅で73歳の生涯を終えている。 勉三最後の言葉は「 晩成社には何も残らん・・、しかし十勝の野には・・、」と言ったという。

因みに、北海道でも人気の高い有名な帯広・六花亭の銘菓「マルセイバターサンド」がある。 
「六花亭」として社名変更した際に新登場したらしく、名前の由来は十勝開拓の祖・依田勉三が率いる晩成社が十勝で最初に作ったバター「マルセイバター」に因むものである。
包装紙は、勉三翁経営の晩成社牧場がバターを発売した当時に使ったラベルをソックリ模写したものであるという。 

白地の用紙に中央部が角ばった赤の図柄で、左より商品名の由来となる「成」の丸囲み文字つまりマルセイとして、○成の間にはバとタの文字があり、中央に「MARUSEI BUTTER、MADE AT YODA BOKUJO、TOKATI HOKKAIDO JAPAN」とし、右に「マルセイバタ、依田牧場製、北海道 十勝」としてある。 当時はバターをバタと呼んでおり、包装紙にも「バタ」の表記が残る。いずれも明治期に作られたクラシカルな絵柄の感じが良い。

「六花」(ろっか)とは、結晶が六角形であるところから雪の異称を指している。 
六花亭には実際に「晩成」という名のお菓子もある。
因みに「マルセイバターサンド」は、20世紀を代表する日本の土産品でお菓子部門のアンケートでは、全国Best10の第7位にランクされているという。 

小生たちが北海道を訪れた際は北海道でも名の知れた「白い恋人」が有るが、我々は「マルセイバターサンド」を好んでお土産にしている。

尚、大樹町は息子の嫁(実家は旭川市)の母の実家で、本年(平成17年)のゴールデンウイークに訪れている。

詳しくはH・P・・・・「北海道・2005」 
http://outdoor.geocities.jp/orimasa2007/hokkaidou2005.htm 



忠類村は・・?、

ところで、この晩成温泉などの位置関係は地域的には「大樹町」に属しているが、ほぼ隣接して忠類村がある。 
大樹町は大きな町で、西側を日高の山地を境に太平洋、更には小さな忠類村を抱くように北側の地域にまで広がっている。
現在進行中である近隣町村の合併については、隣町の豊頃町や浦幌町が合併協議を進めていたらしいが、いろいろな事由によって賛成が得られず、協議会は破談になっている。

又、虫類村は北部に隣接する幕別町と合併の話が現在進行中であるとか。 
(追記、2006年・平成18年 2月6日、忠類村を編入合併している)

虫類村は太平洋の沿岸至近にありながら、地域は内陸へ向かっていて海岸に接してはいない、隣接する大樹町が忠類村を抱くように海岸線を寡占しているのである。 
私的考だが地理的には忠類村は大樹町と合併すべきである・・、と思うのだが 、やはり何か 思惑があるのだろうか。 

忠類村は道内でも最も小地域の村ではあるまいか・・?、その忠類村は1969年に日本で初めてナウマン象の化石が発掘されたことで有名になり、ナウマン象が村のシンボルにもなっているという。

次は、大樹町は大気の町・・?

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紀行(73)大樹 「大気町・・?」



大樹町は大気の町であった・・!、

その大樹町の中心部を東西に貫流しながら太平洋に注ぐ延長60数キロの「歴舟川」の清流が流れる。 「清流日本一」といわれるこの川は水質測定では1987年から3年連続と91、93、2000年に「日本一きれいな川」と環境省がお墨付きを与えた。 

国土交通省より「水の郷百選」にも選ばれ、ニジマスやヤマベなど川魚が豊富であり又、「カムイコタン」をはじめとする中流域には「十勝八景」といわれる大自然の優景が見られるという。 
又、この川は「宝の川」とも言われ、周辺では砂金を採取していた記録があり、明治中期ごろが砂金採取の黄金期を向えて一獲千金を目指した人が大挙して訪れたという。


この歴舟川の河口の北方、浜大樹を挟んで巨大な公園が在る。 
太平洋に面し「大樹町多目的航空公園」といい、全国的にも珍しい航空専門の公園である。 
グライダーなどのスカイスポーツなどを楽しむ場としても利用してきたが、現在は主に航空宇宙の研究実験が優先的に行われているという。

国が進める一大プロジェクトとしてJAXA(宇宙航空研究開発機構)やNICT(情報通信研究機構)といった国の研究機関が主唱する「成層圏プラットフォーム」と銘打って、通信放送や地球観測、災害監視などに関わる数々の実験・研究を実施しているという。 
このプロジェクトは高度約20キロの成層圏に全長250メートルの飛行船十数機を浮かべ、「定点滞空飛行試験」と称して様々な実験を行っているのである。


実験の主な目的は・・、

1、 新しい通信・放送:デジタル放送、携帯端末、超高速インターネット、移動通信などの先端技術。
2、 地球観測:海洋、大気などの現象観測。
3、 気象情報のキャッチ、災害監視:詳細気象観測、山火事、赤潮等の監視 
4、 高層における大型飛行船の研究


特に、この飛行船は地上近辺で運航する現有の飛行船とは異なり、成層圏の高度において実験研究するもので高高度、気象環境ともに技術的に難しい問題が多くある。 
それは成層圏は低温、地上より強い紫外線、風力、風速といった環境であり、それにに耐えうる軽量な材料、十分な浮力と滞空能力などを必要とすること。 

又、長期間の飛行に必要な昼夜の推進の動力源である太陽エネルギーを使った太陽電池や燃料電池などの効率のよい電源の問題。
それに、長期の運行に必要な浮力ガスであるヘリウムの漏れを最小にすること・・、等々の研究であるという。これらはいずれも世界で初の実験・研究といわれる。


十勝の野は平坦地で日照率が高く一定方向に吹く風など、比較的気候条件には恵まれ安定しているといわれる。
又、この公園は太平洋に隣接していて、元々そこに広大な「多目的公園」を保有していた・・、これ等の理由で国策としての実験場に選定されたという。

大樹町多目的航空公園では、その他にも航空に関する未来を見据えての「宇宙間の航空機」や「無人航空機」の実験研究やパイロットテスト等、各種航空に関する研究も同時に行っているという。
太平洋に面しているため船舶からも、「あの巨大な物体は何だ」と遥かに空飛ぶ飛行船に驚いた漁業者もいたとか。 

大樹町は航空の町であり、大樹町は大気町でもある・・!!。

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